ぐるっとおでかけ阪神北 ひょうご北摂ツーリズムガイド

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/ シーズンセレクション 12月 /
  • ■「首地蔵」
    有馬街道、西宮街道、京伏見街道の三街道が交差した要衝の宿場町『小浜』には、「首地蔵」と呼ばれる高さ130cmと巨大な首だけのお地蔵様が2体並んでいます。
    1体は近年作られたものですが、1体は小浜が海に面する海岸だった頃、流され打ち上げられたものであるとか、伊丹の領主が夢枕のお告げにより頭痛を治してもらったお礼として刻ませたなど諸説あります。
    首から上の病気を治してくれるお地蔵様として知られ、多くの参拝者が訪れます。

    ■「夜泣き石」
    文明2年(1470年)に造営された御霊神社の境内には、「貴志のぬけ石」と呼ばれる石が2基あり、陰陽にたとえて「夫婦石」ともいわれています。
    昔、三田の殿様がこの石の片方を気に入り、城の庭石にするため持ち帰ったところ、夜中に「貴志に帰りたい」と泣いたために元に戻されたという「夜泣き石」伝説が残されています。
    「御霊神社」 三田市貴志字美内1100/JR「新三田駅」から徒歩15分
  • ■「美女丸・幸寿丸」
    源満仲は、息子である美女丸を僧にしようと考え、中山寺に修行に出しました。
    しかし美女丸は修行を怠り、15歳になっても和歌や管弦はもとより、経文も読めないことを知った満仲は激怒。
    家臣の藤原仲光に美女丸を切るよう命令します。
    困り果てた仲光の姿を見て、仲光の子・幸寿丸は、自分を身代わりにするように頼みます。
    仲光は断腸の思いで我が子の首を落とし、美女丸と偽って満仲に届け、密かに美女丸を比叡山の源信僧都(げんしんそうず)に預けました。
    後にこれを聞いた美女丸は悔い改め、源賢僧都(げんけんそうず)と呼ばれる立派な僧となり、幸寿丸のために『小童寺』を建立しました。
    能の謡曲にも登場する伝説で、小童寺の境内には源賢僧都(美女丸)、仲光、幸寿丸の墓石が並んでいます。
    ▼関連施設
    ・小童寺

    ■「白鳥伝説」
    『中山寺』の境内にある横穴式石室を持つ古墳は、「白鳥塚古墳」とも呼ばれています。
    応神天皇の異母兄・忍熊皇子が、権力闘争に破れて亡くなった後、この地に葬られました。
    悲報を聞きつけた応神天皇が中山寺に使者を送り、御霊を慰めようとしたところ、「天皇のお心は確かに受け取りました。恨みを捨て、厄除神になりましょう」と答え、洞窟から白鳥が飛び出し、西北の空に消えたといわれています。
    ▼関連施設
    ・中山寺

    ■「子育て幽霊」
    江戸時代の頃、臨月間近い若い女性が亡くなり、季節が真夏であったため、翌日に 杜若寺(とじゃくじ)内の墓地に埋葬されました。
    その夜のこと。お寺から少し離れた所にある駄菓子屋の主人が店じまいをしていると、青白い顔をしたやつれた感じの見知らぬ若い女性が訪れ、水あめを買って帰りました。
    次の日の夜も、その若い女性は水あめを買って帰りました。
    気になった駄菓子屋の主人は、若い女性のことを村の庄屋さんに尋ねてみましたが心当たりがないとのこと。
    三日目の夜も、その若い女性が水あめを買いに来たので、住まいを恐る恐る尋ねてみたものの、女性は物悲しい眼差しを向けただけですーっと闇の中へ消えていきました。
    不思議に思った店の主人は、庄屋さまと相談し、若い女性が水あめを買いに来るまで待つことにしました。
    その夜も、主人が店じまいをする頃に、若い女性は水あめを買って帰りました。
    二人がそっと後をつけて行くと、若い女性は杜若寺の山門をくぐり、墓地の中へ入ると姿が消えてしまいました。
    翌朝、住職とともに、女性が姿を消した場所付近の真新しい墓を掘り起こして棺桶のフタを開けてみると、口の周りを水あめで汚した赤ちゃんが、冷たくなった母親の腕の中に抱かれて弱々しく泣いていました。
    赤ん坊は、近所のおかみさん達が懸命に看護しましたが、間もなく息を引き取りました。
    死んでもわが子を育てようという母の愛が人々の心を打ち、現在に残る立派な「子育て地蔵尊」の墓碑が建立されました。
    この「子育て幽霊」は、様々な形で全国各地によく分布しているお話です。
    三田市の『永澤寺』では、幽霊に育てられた子どもが開祖・通幻禅師となったと伝えられています。
    ▼関連施設
    ・杜若寺:伊丹市東有岡5丁目127/JR・阪急「伊丹駅」から徒歩15分
    ・永沢寺・そば道場

    ■「九頭伝説」
    源満仲が大阪の住吉神社に願をかけたところ、「空に向かい、矢を放て。その落ちる所を居城とせよ」というお告げを受けました。
    これに従い矢を放ったところ、矢は鼓が滝付近まで飛来。
    この地には、9つの頭を持つ大蛇が棲んでいました。
    矢は大蛇の角と角との間に命中しており、満仲はこの地に居住をかまえたということです。
    この伝説にちなみ、平成11年に『ドラゴンランド』がオープン。
    ▼関連施設
    ・「ドラゴンランド」

    ■「龍のうろこ」
    龍は雨乞いの神様としても知られていますが、猪名川町の『景福寺』には龍のうろこが祀られています。
    周囲の村人は、日照りで水不足に悩むと「うろこ様」にお供えをし、祈祷を続けました。すると不思議に雨が降って田畑が潤い、人々は龍に感謝したそうです。
    この龍のうろこ伝説は、三田市の『永澤寺』にも伝えられています。
    通幻禅師が修行の聖地を求めて景福寺より北西に進めとのおつげを聞き(現在の永沢寺)行脚された所、神龍が現れ、この地を修行の聖地としなさいと、8枚のうろこをのこし天昇したと言われ、その一枚を景福寺に伝えられた。
    景福寺は永澤寺の末寺で、同じ通幻禅師を開祖とすることから、何枚かが移されたのではないかとも考えられています。
    ▼関連施設
    ・景福寺
    ・永沢寺・そば道場
  • ■弥勒菩薩の胎内墨書から?
    「三田」と書いて「さんだ」と読む…。
    三田の地名は、一説によると、金心寺本尊の弥勒菩薩坐像(みろくぼさつざぞう)の胎内墨書に、「当地を松山の庄と号す。これを金心寺三福田により三田と改む」とあったことに由来するとされています。
    「三福田」とは、「敬田(人を敬う心の田)」、「恩田(恩を忘れない心の田)」、「悲田(困っている人を助ける心の田)」を意味しています。
    ▼関連施設
    ・金心寺:三田市天神3-28-45/JR・神戸電鉄「三田駅」から徒歩20分

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