ぐるっとおでかけ阪神北 ひょうご北摂ツーリズムガイド

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4月のシーズンセレクション

  • 「川西能勢口駅」は、能勢電鉄と阪急宝塚線を結ぶ主要駅。ここから能勢電鉄の旅は始まります。この駅を降りると、周辺には様々な遺跡が点在しています。駅から出て北西に進むと、『栄根寺廃寺史跡公園』があります。ここは奈良時代に創建された栄根寺があった場所です。さらに北に行くと、全長約40mの前方後円墳『勝福寺古墳』が姿を見せます。
    また、駅の南には、弥生時代の大規模な集落遺跡『加茂遺跡』があり、すぐ近くの『川西市文化財資料館』では、この加茂遺跡をはじめ、市内で出土した遺跡の出土品が展示されています。
  • 多田盆地は、清和源氏の礎を築いた源満仲公によって開発されました。この地にある『多田神社』は、満仲公をはじめとする源氏の武将を祀る神社で、清和源氏発祥の地です。いにしえのロマンを求めて、今も神社への参拝客は絶えません。
  • この地には、古くから鉱泉が湧き、江戸時代には有馬湯、一庫湯とともに摂津三湯の一つに数えられる「平野湯」がありました。この地から湧き出る水を利用してできたのが、有名な「三ツ矢サイダー」。駅から5分の『多太神社』は延喜式内社で1000年以上の歴史があります。
    現在も平野・多田の地を守る神様として信仰を集めています。
  • 阪神・淡路大震災によって倒壊してしまいましたが、かつてここには能勢妙見宮の参道の入り口であることを示す、最初の鳥居が立っていました。1913年(大正2年)の開通直後は川西能勢口からこの駅までしかなく、妙見山への参拝客はここから乗り合いバスや徒歩で向かったそうです(現在、鳥居は北東へ約900mのゴルフ場入口に移設)。
    駅の東側を見ると、城郭風の建物が視界に飛び込んできます。これは大阪青山大学の付属施設『大阪青山歴史文学博物館』です。「土佐日記」や「明月記」など約4000点もの貴重な文化財が収蔵・展示されています。
  • この駅が完成したのは1923年(大正12年)。一の鳥居駅~妙見口駅間の開通にあわせて誕生しました。当時は現在の位置より南東の国道173号沿いにありましたが、1974年(昭和49年)の一の鳥居駅複線化に伴い、畦野駅も移動しました。 駅を降りて北西に約500m、能勢電鉄の高架をくぐると、『頼光寺』へ向かう階段が見えてきます。源頼光の弟にあたる源賢僧都が建立したというこの寺は、別名「あじさい寺」とも呼ばれています。夏が近づくと境内は青やピンク、紫など500株ものアジサイがしっとりと咲き誇ります。
  • 安土・桃山時代に塩川氏の居城、山下城(一庫城・龍尾城)があった地区です。
    豊臣秀吉に攻め落とされてしまいましたが、現在も曲輪など往時の名残を留めています。また、昭和初期まで多田銀銅山の製錬所がこの地で操業していました。
    この大正期の伝統的民家である旧平安邸は『川西市郷土館』に姿を変え、鉱山資料や箸コレクションなどを展示しています。
  • 能勢電鉄妙見線の終着駅。能勢妙見山に参拝するには、ここからケーブルカーとリフトに乗ります。延長666m、高低差223mを5分で結ぶ妙見の森ケーブルは、車窓から日本一の里山や桜など四季折々の美しい風景が望めます。終着の山上駅には手ぶらでバーベキューが楽しめる「妙見の森バーベキューテラス」や地下171mより汲み上げた妙見の水が湧き出る「妙見の森ふれあい広場」などが。ここから一人乗りの妙見の森リフトに乗り継ぎ、約12分。関西の霊場として名高い「能勢妙見山」へと到着します。妙見山は大阪府と兵庫県の県境にそびえているため、ここまで来るともう大阪府豊能郡能勢町となっています。
  • 山下駅から、線路は妙見線と日生線に分かれます。日生中央駅は猪名川町のニュータウンへの入口。日生ニュータウンや猪名川パークタウン、つつじが丘などの住宅地への玄関口としての機能を果たしています。駅のすぐ目の前には『猪名川町B&G海洋センター』があります。また、日生中央駅から松尾台を通って猪名川町役場へと続く道は、ユーモラスな石の彫刻が点在する『彫刻の道』となっています。猪名川町のもうひとつの石といえば『屏風岩』。日生中央駅から阪急バスに乗って「杉生行」の「屏風岩」下車。